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(11) 繁華街の片隅で [ゴールデンブログアワード]

 「マジかよ?」森君が動揺した声でつぶやいた。
「帰ったって、誰が待ってるわけじゃないしさ。」言いながら、私の言い方が森君の誤解を招いていることに気づいた。すぐにそんなつもりではなかったと言えば、今なら間に合う。でも何故か、私は敢えて言うのを止めた。誤解されたならそれでもいいや、と思った。独りになるのが恐かったのか、部長に対する反発か、自分でもわからなかった。
「俺さ、てっきり松沢は誰かと……。」
「付き合ってると思ってた?」
「……。」一瞬の間の後、森君が頷いた。
ここ3ヶ月近く、突然飲み会にも出ず、さっさと退社していく私を見て、そういう噂が流れていたらしい。ああ、だから昨日森君はあんなことを言ったのかと、ふいに思い出した。
「部長も心配してたよ。変な男じゃないだろうな……なんてさ。」
 心配? 嫉妬じゃなくて? 
「吉沢さんにも言われたわ。部長が心配してましたよって。」
「ああ。」森君は何か言いにくそうに、言葉を選んでいる様だった。
「お前は気づかなかったかもしれないけどさ。」と言ってまた言い淀んだ。
「何よ?」私は頭をかすめた嫌な予感を振り払うように、森君を促した。「言ってよ、気になるじゃない。」
けれど森君は短い溜め息をひとつついて、「いや、やめとくよ。どうでもいいことなんだ。」と言った。
 森君は本当に優しい。その優しさ故に独り抱え込まなければならなくなった感情を、彼は一体どのように処理しているのだろう。そのことを思うと、私はいつも少し切なくなる。それなのに今、私はその優しさを利用しようとしていた。

 「わたし、知ってたよ。」
森君の店を出ようとする気配を察して、私は咄嗟に口走った。
「何を?」森君がスツールに座り直した。
「噂のこと。」
「……そうか。」
「でも嘘だから。」
「うん……わかってる。」
「だいたい部長とわたし、親子ぐらい歳離れてるんだから。」
「歳は関係ないと思うけど……でも、言いたいことはわかるよ。」
「女が35過ぎても独りでいると、いろいろ言われるよね……。」
「男だって煩く言われるさ。」
「男の35なんてまだまだこれからだけど、女の35はもう終わりかけなの!」
自分でも驚くくらい大きな声を出してしまった。向こ端にいたバーテンダーが、ちらりとこちらを見遣った。
 終わりかけ。自分で言った言葉なのにチクリと胸に刺さった。
「何が終わりかけなの?」森君が子どもをなだめるような優しい口調で尋ねた。
「結婚もしない、子どももいない、才能もない普通の女が35歳過ぎたら、なんだか急に幸せな未来が遠のいて行く気がするわけよ。」
「選んだ後悔より、選ばなかった後悔の方が大きいってことか……。」私への返答というよりは、独り言のようなつぶやきだった。
 本当にそうだろうか? 私は選ばなかったのだろうか? 十年前のあの日、私は選んだのじゃなかったろうか? だからこそ、今、ここにいるんじゃないの? 独りで。
 「後悔っていうのとは違うかもしれない。選んだ結果が今なんだから。」素直に認めようと思った。そうじゃなきゃ自分が惨めだ。
「へぇ……。思ってたより強いな、お前って。」本当に感心したみたいな声だった。
「ま、女も35を過ぎますとね。嫌でも強くなりますヮ。」
グラスに残っていた最後の一口を飲み干し、スツールからぴょんと飛び降りた。勢いでもつけなきゃ、足が竦みそうだったから。

 森君が立ち上がった。
「行くか。」明るい声だった。
「うん。」どうにでもなれ、と思った。


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