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(11) 繁華街の片隅で [ゴールデンブログアワード]

 「マジかよ?」森君が動揺した声でつぶやいた。
「帰ったって、誰が待ってるわけじゃないしさ。」言いながら、私の言い方が森君の誤解を招いていることに気づいた。すぐにそんなつもりではなかったと言えば、今なら間に合う。でも何故か、私は敢えて言うのを止めた。誤解されたならそれでもいいや、と思った。独りになるのが恐かったのか、部長に対する反発か、自分でもわからなかった。
「俺さ、てっきり松沢は誰かと……。」
「付き合ってると思ってた?」
「……。」一瞬の間の後、森君が頷いた。
ここ3ヶ月近く、突然飲み会にも出ず、さっさと退社していく私を見て、そういう噂が流れていたらしい。ああ、だから昨日森君はあんなことを言ったのかと、ふいに思い出した。
「部長も心配してたよ。変な男じゃないだろうな……なんてさ。」
 心配? 嫉妬じゃなくて? 
「吉沢さんにも言われたわ。部長が心配してましたよって。」
「ああ。」森君は何か言いにくそうに、言葉を選んでいる様だった。
「お前は気づかなかったかもしれないけどさ。」と言ってまた言い淀んだ。
「何よ?」私は頭をかすめた嫌な予感を振り払うように、森君を促した。「言ってよ、気になるじゃない。」
けれど森君は短い溜め息をひとつついて、「いや、やめとくよ。どうでもいいことなんだ。」と言った。
 森君は本当に優しい。その優しさ故に独り抱え込まなければならなくなった感情を、彼は一体どのように処理しているのだろう。そのことを思うと、私はいつも少し切なくなる。それなのに今、私はその優しさを利用しようとしていた。

 「わたし、知ってたよ。」
森君の店を出ようとする気配を察して、私は咄嗟に口走った。
「何を?」森君がスツールに座り直した。
「噂のこと。」
「……そうか。」
「でも嘘だから。」
「うん……わかってる。」
「だいたい部長とわたし、親子ぐらい歳離れてるんだから。」
「歳は関係ないと思うけど……でも、言いたいことはわかるよ。」
「女が35過ぎても独りでいると、いろいろ言われるよね……。」
「男だって煩く言われるさ。」
「男の35なんてまだまだこれからだけど、女の35はもう終わりかけなの!」
自分でも驚くくらい大きな声を出してしまった。向こ端にいたバーテンダーが、ちらりとこちらを見遣った。
 終わりかけ。自分で言った言葉なのにチクリと胸に刺さった。
「何が終わりかけなの?」森君が子どもをなだめるような優しい口調で尋ねた。
「結婚もしない、子どももいない、才能もない普通の女が35歳過ぎたら、なんだか急に幸せな未来が遠のいて行く気がするわけよ。」
「選んだ後悔より、選ばなかった後悔の方が大きいってことか……。」私への返答というよりは、独り言のようなつぶやきだった。
 本当にそうだろうか? 私は選ばなかったのだろうか? 十年前のあの日、私は選んだのじゃなかったろうか? だからこそ、今、ここにいるんじゃないの? 独りで。
 「後悔っていうのとは違うかもしれない。選んだ結果が今なんだから。」素直に認めようと思った。そうじゃなきゃ自分が惨めだ。
「へぇ……。思ってたより強いな、お前って。」本当に感心したみたいな声だった。
「ま、女も35を過ぎますとね。嫌でも強くなりますヮ。」
グラスに残っていた最後の一口を飲み干し、スツールからぴょんと飛び降りた。勢いでもつけなきゃ、足が竦みそうだったから。

 森君が立ち上がった。
「行くか。」明るい声だった。
「うん。」どうにでもなれ、と思った。


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(10) 誕生日プレゼント [ゴールデンブログアワード]

 覚悟は決めたものの、私の心臓はぎゅっと鋭い爪が食い込んだかのように痛かった。森君がブルーの包み紙を解いてゆくのを、息を詰めて見守った。
 濃紺の箱が現れた。
 森君は手を止め、篠原課長の顔をちらっと見上げた。篠原課長は瞬きもせず箱を見つめていた。
 森君が箱の蓋をそっと開いた。
 乳白色のシルクサテンが敷き詰められた箱の中に入っていたのは、ターコイズのブレスレットだった。
 私のじゃない!
 咄嗟にそう感じた。私の誕生石じゃない。私の誕生石はトパーズだ。彼からの贈り物は、必ずダイヤかトパーズだった。ターコイズは確か・・・
 「12月の誕生石ね。」
はっと顔を上げると、篠原課長がさっきと変わらない表情で箱を見つめていた。
「誰へのプレゼントだったんだろう・・・」私は思わずつぶやいてしまった。自分への誕生日プレゼントでなかったことにショックを受けつつ、この場を切り抜けられたことに安堵している自分もいる。なんだか複雑な気分だった。
 「ごめん! 申し訳なかった!」突然、森君が私の方に向き直って頭を下げた。
「い、いいよ、別に。」その勢いに私はたじろいだ。
「いや、本当にごめん!」
「いいってば。」
「ううん、良くない。本当にごめんなさい。」篠原課長も頭を下げた。
「ちょっと止めてくださいよ、二人とも。ほら、また奥の人たち見てますよ。」
 客が私の言葉を聞いて、ぎこちない所作で帰り支度を始めた。

 「俺さ、正直言うと、かなりショックだったんだよ。」森君はグラスに残っていたジンライムを飲み干し、カウンターの向こう端にいたバーテンダーに「すいません、同じのを」とグラスを掲げてみせた。
 私たちは居酒屋の前で篠原課長と別れ、まだ早いからと森君に誘われて、そこから数件先の店に入ったのだった。
 「もういいわよ。止めようよ、部長の話は。」そう言いながら話題を探したけれど、こんな時に限って、上手く見つからない。
「いや、聞いて欲しいんだ。パスワードが松沢の誕生日だった時さ、俺マジで、目の前が真っ暗になったっていうか・・・。でも良かった。」
「何が?」
「あれがお前あてのプレゼントじゃなくてさ。」
「そんなわけないじゃない。あんたってホント失礼ね。」
「ごめん・・・。」
 いや、謝らなくちゃいけないのは私の方なんだよ。だから、そんなに謝らないで。
 心の中で勝手なことを言いながら、私は黙ってカンパリを飲んだ。
「そういえば、部長もカンパリ飲んでたな。この間。」
「ふぅん。」
 部長がよく飲んでいたから好きになったお酒だった。今日のカンパリは追悼の一杯。
「お前もよく飲むよな、カンパリ。」
「そんなことないよ。次は何を飲もうかな?」メニューに手を伸ばすと、森君がさっと手渡してくれた。
「サンキュ。」そう、もうカンパリは飲まない。だって・・・あのプレゼント、一体誰のなの?
「決めた。カシスオレンジください。」
 森君にジンライムを差し出したバーテンダーは、黙ってにっこり頷くと、空っぽのグラスを下げた。
 カシスオレンジ。夕べちひろが飲んでいた、甘いカクテル。私、森君に媚びてるの? まさかね?
 「結局、あれは誰の物になるはずだったんだろうな。」森君がつぶやいた。「12月が誕生日のやつって誰かいたっけ?」
「さぁ・・・うちの会社とは限らないしね。」
「ま、そりゃそうだけどさ・・・。とにかくパスワードさえ分かれば、部長がどこの誰と付き合おうが、俺たちには関係のないことだけどな。」
 俺たちには関係ない・・・本当に、そうならどれだけ気楽だろう。私は知りたくて仕方がなかった。あのブレスレットの本当の持ち主を。
 カシスオレンジがきたとき、森君の携帯が鳴った。森君は発信者を見て、慌ててフロアの隅にある電話ボックスに駆け込んだ。しばらくすると、ボックスの中の森君が、驚いた顔をして私の方を見た。私は意味が分からず、首をかしげてみせた。その自分の仕草が、やけに媚を売っているような気がして、少し自分が嫌になった。
 「松沢! わかったよ!」弾んだ声で森君が戻ってきた。
「何が?」
「パスワードだよ。今の電話、小川さんからだったんだ。」
「小川さん?」
 電話番と称して独り残った小川さんは、部長のパソコンのパスワードを調べていたのだ。
「どんな番号だったの?」できるだけさりげなく聞いたつもりだった。
「何で? 気になる?」森君が鋭く聞き返してきた。私は言葉に詰まった。さっき、土足で人の領域に云々なんて偉そうなこと言ったくせに、今の私は森君からみれば、好奇心丸出しの野次馬に見えたろう。
「聞かなかった。聞かない方がいいような気がして。」
「ごめん、そうだよね。私もそう思う。」
森君は賢明だ。彼のそんな優しさに、私はなんども救われている。そして、今日も・・・。
 「よし、乾杯しよう!」森君は興奮していた。睡眠不足に精神的な疲れが重なって、却って神経が高ぶっているようだった。乾杯して一気に飲み干すと、またお替わりを頼んだ。
「ちょっと、飲み過ぎじゃない?」私は急に心配になった。
「平気だよこれくらい。まだ9時前だぜ。」
「でもここ新宿じゃないよ。」
「え? ああ、そうだっけ?」
「ほらぁ。問題解決したんだから帰ろうよ。」
「なんだよ、松沢。お前、冷たい女だなぁ。」
 ドキリとした。「冷たいなぁ。」部長の声が聞こえた気がした。
「分かったわよ。じゃあ後、1時間ね。」
「よーし! 飲もうぜ!」
 
 2時間後。まだ私たちはその店にいた。一度新宿まで戻って別の私鉄に乗り換える予定の私は、そろそろ電車に乗らなければならない。でも、なんだか帰るのが億劫になっていた。どうせまた明日は、ここよりさらに郊外へ行かなければならないのだ。
 「おい、そろそろやばいんじゃない?」森君が時計を気にし出した。
「帰りたくないな・・・。」
「え、でもまずいよ・・・。」何故か森君はひどく狼狽している。
「大丈夫よ。ほら、明日の準備もできてるし。」私は後ろを振り返り、店に入った時に預けた二つの荷物を指さした。
 それは私と森君の、それぞれの喪服が入ったバッグだった。


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(9) パスワード [ゴールデンブログアワード]

 「今、とても困っていることがあるの。」
篠原課長が言葉を探すように、ゆっくりと話し出した。
「出来るだけ事務的に言うわね。部長は普段、三台のパソコンを使っていた。一台は自宅にあるデスクトップでプライベート用。後の二台は会社にあるデスクトップと、いつも持ち歩いていたノートパソコンなの。これは知ってるわよね?」
「はい・・・。」
パソコンと私に何の関係があるのか、分からないまま、慎重に頷く。これは一緒に仕事してるんだから知っていて当然のことだ。
「でね、どのパソコンにもパスワードが設定されてたわけ。ご自宅のはお孫さんの誕生日だったの。」
「はあ・・・。」
曖昧に答えながら、嫌な予感が閃く。まさか、私に関係ある数字のはずは・・・ないよね?
「ノートパソコンのパスワードを探すために、この手帳に書いてあった数字を片っ端から押したんだけど・・・」と、篠原課長は部長のスケジュール帳を差し出した。
「これは?」
知っていてもおかしくはないと思ったが、一応とぼけて尋ねてみる。
「部長のスケジュール帳だよ。」
森君が横からぶっきらぼうに答えた。森君の不機嫌を気にしつつ、視線を篠原課長にもどすと、課長は「ここにね、あなたの誕生日が書いてあって、それがパスワードだったってわけ。」と、何でも無いことのように、さらりと言った。
「私の誕生日が?」驚いた表情で森君を見ると、彼は壁を睨みつけている。脇から冷や汗がじんわり流れ出るのが分かった。
「そう。でもこの際その理由はどうでもいいのよ。」
「いや、よくありませんよ。どうして、私の誕生日なんて・・・」必死に困惑の表情を作って演じてみせるけれど、篠原課長は取り合ってくれず、
「それは後でゆっくり考えてみましょう。とにかく、社用の一台はあなたの誕生日だったのよ。でももう一台、会社のデスクトップのパスワードがどうしても分からないの。それで・・・。」
「それで私が呼び出されたんですか? 私にだってそんなの分かりませんよ。分かるはずないじゃないですか! 自分の誕生日が設定されていたことだって、今、知って驚いてるのに・・・どうして分かるんですか?」
思わず声を荒げてしまった。はっと我に返ると、奥にいた客と女将が会話を止めてこちらを見ていた。
「すみません・・・つい・・・」
「いいのよ。そうよね。私たち本当に失礼なことをしているんだと思う。でも本当に困っているの。もしあなたが何かヒントになるような数字を知っていたらって・・・そう思ったものだから・・・あなただって辛いのに・・・ごめんなさいね。」篠原課長が憔悴しきった表情で頭を下げた。
 私はその姿にひどく動揺した。こんな猿芝居で人に頭を下げさせるなんて、最低だ。
「課長、松沢さんにあれを渡した方がいいんじゃないですか?」森君が冷静な物腰で課長に言った。今日は森君の方がまるで上司みたい。いや、篠原課長がいつもの落ち着きを失っているからそう見えるのかな。
「ああ、そうね・・・うん、そうね。」篠原課長は自分のカバンから、銀色のリボンがかかったブルーの小さな包みを取り出した。私には一目で、それが自分への誕生日プレゼントだと分かった。
「部長の会社の机の引き出しに入っていたの。あなたに渡すべきものか迷ったんだけど、お家の方に渡すのもどうかと思って・・・」そう言うと課長は、包みをテーブルに置き、こちらへすっと押し出したが、私は手を伸ばすことができなかった。
「なぜ、私に?」
「そこに君の名前が書いてあったんだよ」
森君の言葉に包みを見ると、端にペンで「Mへ」と書いてあった。
「これが、どうして私になるの?」
「だって、パスワードが君の誕生日だったんだ。君へのプレゼントだと思われてもおかしくないだろう?」
「私の誕生日、もう過ぎてますから。」
「とぼけるなよ。」
「何を?」
「そんな態度とられたら、余計疑いたくなる。」
「だから何を?」
「正直に言ってくれよ! 頼むから!」
今度は森君が声を荒げた。また女将と客がこちらを見た。
「森君、落ち着いて。あなたらしくないわ。」
そこにはいつもの冷静さを取り戻した篠原課長がいた。やさしくて強い、私の憧れの人。私は厳しい展開になること予感し、また脇から冷や汗が流れ出た。
 案の定、課長は私の顔をじっと見つめ、「失礼な質問だけど、本当にこれがあなたへの贈り物じゃないって言い切れる?」と迫ってきた。
 私は言葉に詰まった。必死で頭を働かせようとしたけれど、さっきの森君の言葉が引っかかって、どう返事をすべきかの判断がつかなかった。そして咄嗟に、これ以上否定してはかえって疑念を持たれることになる、と直感した。そう、ほんの少し正直になった方が、嘘は上手くいく。
「・・・わかりません。本当に。」
「そう。・・・困ったわね。」
篠原課長は考えをめぐらせるように、黙ってビールを一口飲んだ。
「私たちはあなたと部長の間に何があったかを詮索したいわけじゃないの。そんなことは無意味だし、第一プライバシーの侵害もいいところだもの。でもパスワードは何としても知りたいのよ。本当にそれだけの話なの。」
「お役に立てなくてすみません。でもきっと私には関係のない数字だと思います。」
「そうかもしれないわね。嫌な思いをさせてごめんなさい。」
「いいえ。」
意外にもあっさり引き下がられて、私は少し気が抜けた。そうよ、「部長に可愛がられていた」ことは公認の事実らしいから、何も必死に知らん顔する必要はなかったのに。もう少しギリギリの所まで事実を言った方がよかったかもしれないな・・・。
 黙って聞いていた森君がちらっと篠原課長を見た。課長はその視線に気づき、ふいに思いついたかのように、「ねぇ、これ、開けてみてもいいと思う?」と言って、私に視線を戻した。
 ドキンと心臓が鳴った。思わず視線をそらせてしまった。森君と課長は私の反応を見ているのに違いない。そう思った次の瞬間、負けるまいとどこからか力が沸いてきた。私はできるだけ平静を装い、顔を上げた。
「どうして私に聞くんですか?」
「あ、そういえばそうね。でもほら、共犯になるわけだから。」
「共犯?」
篠原課長はいたずらっぽく微笑み、「そうよ。だってこれは・・・部長の秘密、かもしれないじゃない?」と言った。
 そうだ! 中にメッセージカードが入っていたら、絶体絶命だ! でも大丈夫、今までそんなものが入っていたことはなかったはず・・・本当に? もし、ネーム入りの何かだったら? 私の頭の中に次々と不安が渦巻き出した。ふいに森君の言葉が耳に飛び込んできた。
「俺は、いいと思います。だって、もう誰の物かも分からないんだから。仮に誰かが受け取るはずの物だったとしても、本人がそれを知っているわけじゃないんだし。」
「でも部長の気持ちは?」
咄嗟に出た言葉だった。言ってしまってから、自分の言葉の意味を考えた。大丈夫。おかしくない、と思う。そう確認して言葉を続けた。
「死んだからって、人の領域に土足で踏み込むようなこと・・・私にはできない。」
「仕方ないよ。パスワードを残しておかない部長が悪いんだ。」
「そんな言い方ってひどいよ!」
言った瞬間、ハッとして奥を見ると、女将と客は慌てて視線をそらし、何事も無かったかのように小声で談笑し始めた。
「そうかな? そうかもしれない。部長だってまさかこんなことになるとは思わなかったんだろうから。でも・・・」
「でも?」
「残された人間は生きていかなければならないんだよ。どんなにしんどくてもさ。」

 しんどい? しんどいのは私の方よ。たった独り残されて、どんなことしてもしらを切り通さなけりゃならないんだから。部長のバカ。どうして死んじゃうのよ! なんで勝手に死んじゃったのよ! 「じゃあな」って、それが最後の言葉なんて嫌だ。絶対、嫌! 
 私の中で突如怒りが沸き起こってきた。どこにも誰にもぶつけようのない、怒り。
「わかりました。私も共犯になります。」私は覚悟を決めた。
「え? いいの?」何故か森君が狼狽えた。
「いいわよ。これが誰のものだとしても、私たち三人の秘密。ですよね、課長?」
「そうよ。勿論、持ち主が分かれば、伝えることになると思うけど。その人がきっとパスワードのヒントをくれるでしょうから。」

「じゃあ、開けますね。」森君が鈍く光る銀色のリボンを解き始めた。


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(8) 森君の背中 [ゴールデンブログアワード]

 郊外の大きなターミナル。電車からどっと降りていく人波にもまれながら、慣れない駅の階段を昇っていく。
 嫌だなぁ・・・一体何を渡すつもりなんだろう・・・。
「痛いっ!」
「あ、すみません・・・。」
 気が進まないせいか、歩くテンポが人波とずれてしまい、後ろの人の足を踏んでしまった。振り返るスペースもないので、とにかく謝る。相手の女性は、鼻息も荒く私を追い越し、改札を抜けていった。

 「よお。」
 改札前の人混みからやや離れた場所に、森君は立っていた。今日のようにいろいろな出来事があった後で彼の顔を見ると、なんだかホッとする。けれどそれもつかの間、呼び出された用件を思い出し、再び重い気分が戻ってきた。
「ごめんな、呼び出したりして。」
「ううん、それは別に構わないけど・・・。」
「とにかく行こう。課長も待ってるんだ。」
「篠原課長?」
「ああ。こっち。」
 繁華街とは反対側の少し寂れた階段を降りながら、ずっと前にこの階段を降りたことがあったことを不意に思い出した。
 そうだ。十年前の夏、確かに私はここに来た。そもそもの始まりはこの場所だったのだ。あの日、どうして私はそんな気になったのだろう。

 「ここだよ。」
森君が急に立ち止まったので、私は彼の背中にぶつかりそうになり、思わず手をついた。
「あ、ごめん。」
スーツ越しに触れた背中が、思いがけず逞しかったことにハッとして手を引いた。
 あの人の背中はもっと丸くて優しくて、そして哀しかった。
 「入って。」
古ぼけた居酒屋の煤けた窓から、篠原課長の疲れた横顔が見えた。森君は窓の脇の引き戸をガラガラッと開けると、私の背をそっと押して促した。それは一瞬、まるでいつもの飲み会に来たような錯覚を起こさせた。気の置けない仲間たちとのくだらなくも楽しいおしゃべり。けれど次の瞬間、私は現実に引き戻された。私は残されたのだ、独りきりで。
 私は恐る恐る店に足を踏み入れた。まるでそこに得体の知れない物が待ち受けているかのように。
 店には私たちの他には一人しか客がおらず、その常連らしい客は、カウンターの一番奥まった椅子に腰掛けて、女将らしき女性と会話していた。壁には黄色い紙に書かれた短冊のメニューが並び、少し離れた場所に阿藤海の色紙が一枚、ぽつんと画鋲でとめられていた。
 篠原課長は私に気づくと静かに微笑んで、
「ごめんね、松沢さん。こんなところまで呼び出したりして。」と言った。
私の顔は蒼白ではないだろうか? もしそうだとしても平静を保たなければ。
「いいえ。」
私の声は意外なくらいしっかりしていた。大丈夫。誰も知らないはず。自信持って。
「とにかく座ったら? ビールでいい?」
森君は私から荷物を受け取り奥の椅子にのせると私の隣りに腰を下ろし、女将に向かって「すいませーん! 中生二つ!」と叫んだ。
私はまだ、肩を強張らせたまま俯いていた。
「本当に、驚いたわね。」
篠原課長は深い溜め息をついた。
「参ったわ。」
 ビールが運ばれてきた。
「献杯って言うのかしら? こんなとき・・・。」
篠原課長は半分ほど減ったビールジョッキを軽く掲げた。私たちも課長に倣い、献杯して一口飲んだ。課長はそれを見届けると、おもむろに話を切り出した。
「さて、何から話したらいいのかしら・・・。」
 私は一瞬、身を固くした。
 いよいよ幕が開く。そう、たとえどんな物を見せられたとしても、絶対バレないように演じなければ。それが彼を守ることでもあるのだから・・・、そう自分に言い聞かせた。


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(7) 秋雨 [ゴールデンブログアワード]

 通夜は翌日に決まった。
 森君は一度部屋へ戻ってきて、通夜と告別式の手順について説明すると、斎場との打ち合わせのために、篠原課長と出かけていった。
 みんなは葬儀の全容が概ねわかり、自分の役割を確認出来たことで落ち着きを取り戻し、現実に対応すべく仕事に戻っていった。
 気のせいだろうか、誰彼となく私に「大丈夫?」と声をかけてくれる。私、そんなに蒼白い顔をしているの? そういえば、通夜と告別式の両方を手伝うのは、森君と吉沢さんと私だけだった。どういう基準なんだろう、この人選。夕べ居合わせなかった私が、どうして? さっき給湯室で聞いた吉沢さんの言葉が頭でこだまする。「本当に心配してましたよ」「お父さんみたいに」・・・。

 夕方から雨が降り出した。秋雨は冷たい。
 部長の家の方も降っているだろうか?
 今日はほとんどの人間が、終業時刻で仕事を切り上げるらしい。唯一、電話番を兼ねて残業すると申し出た小川さんを除いて、がたがたと帰り支度を始める気配が部屋中に広がった。
 小川さんは部長より5歳下の48歳だ。いつも控えめに部長をサポートしている。本当ならこんな小さな会社ではなく、もっと大きな所でバリバリ働いていてもおかしくない人物だと、素人の私にも分かる程有能な人。でも彼はこんな小さな会社ですら係長止まりだった。いつだったか部長が言ってたっけ。「課長にならないかと声を掛けたけど、断られた」って。小川さんはいつも目一杯の有給を消化する。ひどい時は病欠の為の有給さえ残しておかない。それでも仕事に支障は出ない。誰にも迷惑をかけずに有給を使い切るなんて、至難の業だ。彼が課長のポストを断った理由はきっとそこにあるのだろう。そして、そんなに沢山の有給を使って何をしているのか、私たちは誰も知らないのだった。
 その小川さんが、今日は一人で会社に残ることになった。
 気づくと、部屋には私と小川さんの二人だけになっていた。廊下のざわめきが遠ざかって行く。もうロッカールームにも誰もいないだろうと、ぼんやり考えた。なんとなく吉沢さんやあのキャピキャピ娘たちと顔を合わせるのが嫌で、私はのろのろと書類をまとめ、必要もない文房具のチェックやら補充をして時間をやり過ごしていたのだった。そろそろ帰ろうとして自分の机に戻った時、小川さんが声をかけてきた。
「松沢さん、ビールでも飲まない?」
「は?」
「ビール」
「え? いや、あの・・・だって・・・」
混乱し戸惑っている私を見て、小川さんはふっと笑みを漏らし、
「いいじゃない。もう就業時間過ぎたんだから」と言った。
「・・・そういうものなんですか?」
「そういうものなんですよ。ちょっと待ってて」と言い残して給湯室へ行き、缶ビール2本を手に戻ってきた。
「はい。まぁ、そう嫌がらずに付き合ってよ」
「はぁ・・・」
仕方なく缶を受け取ったものの、飲む決心はすぐにはつかなかった。
「最後に残った一人と飲もうと思ってたんだけど、それがあんたで良かった」
彼は缶を少し上に掲げ、
「部長に」
とだけ言うと、ぐいっと飲んだ。「あんたで良かった」と言われたことが、なんとなく私の気を楽にしてくれて、ようやくプルトップに手をかけた。
 小川さんはふと窓の外に目をやり、
「明日は上がるといいけどな・・・」とつぶやいた。
「そうですね。でも部長は晴れ男だっていつも自慢してましたから、きっと大丈夫ですよ」と私が言うと、小川さんは嬉しそうに
「やっぱり残ってたのが、あんたでよかったよ」と言い、
「部長が誰よりもあんたを可愛がってたのは知ってるよ」と付け足した。
私の顔は一瞬にして強張ったに違いない。小川さんは気づかない振りをしていたけれど。
「飲み会の度に『誰か松沢に男紹介してやってくれ』って、言ってたぞ」
「何ですか、それ?」
「さあな。部長なりの愛情表現てやつだろうな。俺だって不思議だよ。あんたみたいないいお嬢さんがどうして・・・失礼」
「いいですよ。どうして結婚もしないでふらふらしてるのかって聞きたいんでしょ? ここ2年くらい急に腫れ物に触るようにみなさん気を遣ってくださるもんだから、言い訳の機会も無いんです」
「まあ、そう怒るなって。言っとくけど『いいお嬢さん』だからこその不思議なんだよ。そこを聞き逃して欲しくないな」
「そりゃどうもありがとうございます」
私のぞんざいなお礼の言い方がおかしかったのか、小川さんが声を上げて笑った。こんな日に不謹慎な笑い声だと思ったけれど、その声に私の心が少し軽くなったように思えた。
 「さてさて、明日は忙しい一日になるから、もう帰りなさい」
小川さんは急に父親みたいな声を出して、私の手からビールを受け取った。開けたものの結局は口をつけなかったビール。
「じゃあ、お先に失礼します」
「お疲れ」
部屋を出て行く時に振り返ると、小川さんはまた外の雨を見ているようだった。

 会社から駅へ向かう途中、携帯が鳴り出した。森君からだった。慌てて雨宿り出来るビルの陰に入り、電話を取り出した。
「今どこ?」
「会社出たところだけど・・・」
「悪いけど今から来れない?」
「え? どこに?」
「渡したい物があるんだ・・・」
 待ち合わせを決めて電車に乗ると、急に不安が襲ってきた。「渡したい物」って何だろう? あまりにも心当たりが多過ぎて、逆に見当がつかなかった。部長と私の関係を示す何かだったらどうしよう・・・。こんなに急いで渡そうとする物って何だろう・・・? どうか森君に気づかれていませんように! ほとんど絶望的な、全く手前勝手な願いを必死で唱えながら、私は夕方のラッシュに揺られていた。


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(6) ごめん、部長。 [ゴールデンブログアワード]

 篠原課長が出社すると、森君が呼ばれた。部屋を出て行く森君を、部屋に居た全員が黙って見送った。葬儀の段取りの話だと、みんなが知っていた。
 表面的には、普段通りに仕事が行われているように見えたが、誰一人として仕事が手についている人間などいなかった。
 いや、一人を除いては・・・。
 経理の吉沢あゆみは、黙々と電卓を叩き続け、静かにいつも通り仕事をこなしていた。ただ、森君が出ていく時には一瞬、彼をじっと見つめたような気がした。

 「あゆみ、すごいよね。よく仕事出来るよ、こんな状況でさぁ。あたしなんて、ショックで何も手につかないよ」
給湯室からこれみよがしな大声が響いてくる。城島めぐみだった。吉沢さんと同期の城島は、何かと吉沢さんをライバル視しているのだ。若い女の子にありがちな、無意味な競争意識。しかし吉沢さんの方はあまり気にする風でもなく、かえってそれが城島の怒りを燃え上がらせているらしかった。
 「城島さん、給湯室の声が部屋にまで聞こえてるわよ」
コーヒーをいれるついでを装い、城島に声をかけると、
「あ・・・すいませぇん・・・」
と甘えた声で謝り、舌をペロッと出した。
 謝り方にもTPOってものがあるだろうと思うのだけれど、この子はいつどんな時でも、謝罪の言葉のあとに舌を出す。ああ、だから誰もこんな日には注意したくなかったんだと、後から気づいたのだった。

 昼休みになったが、部屋を出る人はいなかった。みんながそれとなく森君を待っているようだった。しかし、30分待っても森君が戻って来ないので、外で食事をとる人間が何人か、ささやき合いながらバタバタと出て行った。私は自分の席で、朝コンビニで買ったおにぎりとサラダを食べ、食後のコーヒーを飲んだ。吉沢さんはいつも通り、自炊のお弁当のようだった。
 給湯室でカップを洗っていると、吉沢さんが入ってきた。弁当箱を洗いにきたらしい。
「こんな時にもちゃんとお弁当作って来るんだね」
自分でも思いがけず放ったきつい言葉は、同時に自分の胸にも突き刺さった。私だって、同じだ。むしろいつもよりずっと平静であろうとしている。なぜならば・・・。
「こんな時だから、いつもと同じにしたかったんです」
と言う吉沢さんの声が聞こえた。私の思考は中断し、何故か救われた気がした。
「そう、そうした方がいいのかもしれない・・・。ごめん、変なこと言ったね」
「いいえ。松沢さんもお辛いと思いますけど、気を落とさないでくださいね」
 吉沢さんの言葉に深い意味は無かっただろう。同じ部署の上司と部下。昨日まで一緒に仕事していた関係。慰めの言葉はお決まりの文句。けれど私の心臓は、またしてもひどく激しく、ドクンと波打つ。
「え、ええ。大丈夫。なんだか、まだ実感がわかなくて・・・だから平気なのかもしれないわね」
「本当に大丈夫ですか? なんだか顔が蒼白いみたい・・・。部長、松沢さんのことを、本当に心配してたんですよ」
「そう・・・」
 松沢さんは何かを知っているの? 今は少しでも早くこの場を立ち去りたかった。でないと、自分の感情がほとばしり出てしまいそうだった。そんな私の素振りに気づいたのか気づかないのか、吉沢あけみは弁当箱を洗い終え、キッチンペパーで水分を拭き取りながら、こう続けた。
「まるで、本当のお父さんみたいに」
その瞬間、私の頬に血が通うのが、自分でも分かった。知らずに涙が溢れてきた。
 それは薄情なことに、安堵の涙だった。ごめん、部長。
 吉沢さんが私の涙をどう受け止めたのか、私には分からない。彼女もふいに涙ぐみ、ペコリと頭を下げると、足早に給湯室を出て行った。


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(5) 彼の居ない朝 [ゴールデンブログアワード]

 翌朝、私はいつもの電車の、いつもと同じ前から3両目に乗って出勤した。ロッカーに喪服をしまい、ジャケットを脱ぎ、カーディガンを羽織り、サンダルに履き替える。「そろそろ買い換えだな」と履く度に思うようになってもう2ヶ月経つのに、未だ買い換えもせずに毎日履いているサンダル。きっと今日も買いに行く時間はないだろう。給湯室でお湯が沸くのを待っている若い子たちを尻目に、台拭きで机の上を拭いて回る。机を拭いて欲しい人は決まっているので大した手間じゃない。ちょっと迷ったが、いつもの通り部長の机も拭いておいた。給湯室に戻ると、ちょうどお湯をポットについだ後で、朝のお茶の支度を始めていた。その横で、やかんに少し残ったお湯で自分のコーヒーをいれ、その場で一口飲む。
 昨日と何も変わらない朝。
 ただ、部長が来ないことを除いて。
「部長、夕べ松沢さんのこと心配してましたよ」
ほとんど言葉を交わしたことのない、経理の吉沢さんが話しかけてきた。まだ入社して3年目の女の子。部長という言葉に心臓がドキリと脈打った。平静を装うとして却って顔が強張るのが自分でもわかった。
「部長が? なんて?」
吉沢さんはじっと私の目を覗き込むようにして
「いつまでも独りなのが心配だって」
「そう・・・。教えてくれてありがとう」
「なんか、寂しそうに言ってました」
慌てて自分の席に戻ろうとした私の背中に被せるように、吉沢さんの声が追いかけてきた。最後の一言が突き刺さる。と、同時に怒りが込み上げてきた。
 大きなおせっかいだわ!
 誰に対しての怒りなのか、自分でもよくわからなかった。
 知った風な口をきく吉沢さんに対してなのか、そんな子に私についての心配を語る部長に対してなのか、あるいは部長があまりにも突然逝ってしまったことに対する怒りなのか・・・。
 知らずに涙が出てきたので、慌ててトイレへ駆け込んだ。
 どうも情緒不安定だわ。やっぱり欠勤すればよかったかな。お通夜で部長の顔を見て取り乱す自分を想像し、急に恐くなってきた。「今からこんなことでどうするの!」自分を叱咤してみたけれど、平静に振る舞える自信はなかった。

 「大丈夫?」
 トイレから戻ると、森君が出社していた。目が赤い。恐らく、ほととんど眠っていないのだろう。
「私は平気。それより森君こそ、目が充血してるよ。大丈夫?」
「大丈夫・・・って言ったら、やっぱり嘘になるよなぁ・・・」
 夕べの飲み会に参加したメンバーは、一様に夕べの出来事を語るのを控えている。言葉にすることで、夢であって欲しいことが現実として認識させられてしまうのを避けるかのように。
 「森さん、夕べはお疲れさまでした」
振り向くと、吉沢さんがお盆を持って、立っていた。
「お茶、どうぞ」
大事なものを置くように、森君の湯飲みをそっと机に置いた。
「ありがとう。君も大変だったろう? どうだった、あれからご家族は?」
「ご遺体に対面されて・・・みなさん、泣かれてました。葬儀の件は後から篠原課長が駆けつけて下さったので、課長に一通り説明してから私は失礼しました」
「そう。お疲れさま」
吉沢さんの後ろ姿を見送りながら、森君は深い溜め息をついた。
「篠原課長か・・・」
「病院には吉沢さん一人が残ったの?」
私はさっき、部長からの伝言を伝えてくれた彼女が、にわかに気になり出した。
「ああ。救急車には俺と彼女が一緒に乗ったからね」
「そう・・・」
 何だか、遣りきれなかった。昨日、飲み会に行っていたら、きっと私の役目だったはずなのに。でも、昨日私は、そこにいなかった。
「しっかりしてるね、彼女」
心にも無い褒め言葉。嫉妬を隠すため?
「ああ、そうだな。俺なんかよりずっと落ち着いてたよ。なんか身内の死に慣れてるって言ってた」
 死に慣れる? そんなことって、あるんだろうか?


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(4) 真夜中の電話 [ゴールデンブログアワード]

 本当にいろんなことのあった一日だった。
 私にとって一年分の出来事が一度に起きたような気がする。
 いつもの私は、風呂上がりにこたつでアイスを食べることが唯一の楽しみという生活なのに。
 濡れた髪も乾かさず、カップのバニラアイスを食べながら、私はぼんやり考えた。
 そもそもは橋谷さんのことを知ろうとしたことから起きたのだった。
 いやはや。恋とは恐ろしいものだ、とつくづく思う。
 平和でぼんやりした日常に殴り込みをかけられたみたい。思いがけない自分の行動に、自分が驚いている。
 アイスがあと一口になった時、電話が鳴った。時計を見たら11時を回っていた。
夜中の電話ってロクな電話じゃないよな・・・。しかしそれなら、なおのこと居留守を使うわけにもいかない。などと考えながら、しぶしぶ受話器を取った。
 「もしもし・・・。」
聞き慣れた声がした。
「森だけど・・・。」
ああ、森君だ。なんだ、よかった。何故かホッとした。
「どうしたの?」
「良かった、居てくれて。驚かないで聞いて。」
「なに?」
「部長が亡くなったんだ。さっき・・・。」
 部長が? 亡くなった? 
 頭が真っ白になり、何も考えられなくなった。だって、今日も仕事してたじゃない。帰りにはみんなと飲みに行くって、私、誘われたけど断って・・・。
 受話器の向こうで森君が説明してくれているらしい声が聞こえるけれど、何を言っているのか理解出来なかった。ただ、涙だけが溢れてきた。
 どうして? なんでよ? うそでしょう? まだ信じられない。なのに驚きがあまりに大きくて、自然と涙が出てくるのだった。
 「もしもし? 聞いてる? 松沢さん、大丈夫?」
森君の声にハッと我にかえった。
「ごめん、よく聞いてなかったかも・・・。」
「仕方ないよ。俺だってまだ頭真っ白で・・・とにかくそういうことなんだ。」
「うん・・・。」
やっと、背後に人の気配がするのに気がついた。
「ひょっとして、まだ会社なの?」
「ああ、そう。病院でご家族に倒れた時の状況とか伝えて、とりあえず戻れる人間だけ戻って、今あちこち連絡してるんだ。」
「そう。お疲れさま。」
 部長のご家族・・・。その言葉に、一番悲しんでいいのは私じゃないよな、と首根っこをぐいと掴まれ、現実に引き戻された気がした。ふとカップを見ると、アイスはすっかり溶けて、どろりとした液体になっていた。森君の言葉が、急に現実味を帯びてきた。
「とにかく、明日出社して驚くといけないと思って。それに午後から忙しくなるかもしれないし。」
「お通夜ってこと?」
「うん、まぁ、今の所は未定だけど。」
「じゃあ、喪服も持って行った方がいいね。」
「そうかもしれない。できるならそうしてくれる? 何があるか分かんないからさ。俺もこんなこと初めてだし・・・。」
それまで事務的に話そうと努めていた森君の声が急に震えた。それに気づいて、私は一瞬の正気を取り戻した。
「何かあったら電話して。手伝えることがあれば、何でもするから。」
「・・・ありがと。じゃあな。」

 受話器を置いて、気がついた。部長の最後の言葉も「じゃあな」だったことに。
 突然、部長が廊下を去っていく後ろ姿が脳裏に浮かんだ。少し丸まった寂しそうな背中。
 「じゃあな。」
 嘘でしょう? 嘘だよね? だって、まだ決着ついてないんでしょう、私たち? 誕生日に会うのを避けるなんて、そんな子どもじみたやり方で終わりを告げようとしたのに、あなたは私を責めもせず、昨日だって声をかけてくれたじゃない。それなのに、私、笑って断ったんだよ。変な余裕かましてさ。本当に最後の最後まであなたの優しさに甘えたままだった。
 ねぇ、本当に死んじゃったの? 
 明日会社へ行ったら、会えるんじゃないの?

 信じられない気持ちと、死んでしまったという現実が交互に襲ってきて、涙がいつまでも溢れ続けた。


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(3) ぶっ倒れた後で・・・ [ゴールデンブログアワード]

 「松沢さん! 松沢さん!」
遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。真っ白な景色の中に少しずつ色が戻ってきた。
「松沢さん!」
ああ、この声・・・誰だっけ? さっき聞いたばかりの声だ・・・。
 「大丈夫?」
心配そうな橋谷さんの顔が、すぐ目の前に迫っていた。それでも私は、すぐには状況が飲み込めなかった。大音量のテンポの早い曲が頭に響き渡る。
「はい・・・大丈夫です」と反射的に答えながら、私は自分の途切れた記憶の最後を思い出そうとしていた。
 エアロビの上級クラスに無謀にも参加した私は、途中で酸欠状態になり、ぶっ倒れたらしかった。確かに、自分でも「やばい、まずい」と思いながら、自分のスポーツドリンクを求めて後ろに下がった所までは記憶にあった。
 「とにかく一応医務室へ行きましょうか」
橋谷さんに支えられて立ち上がると、彼はさりげなく私のタオルとドリンクを持ってくれた。橋谷さんはインストラクターに大丈夫と合図を送り、軽く私の背を押して部屋を出て行くようにと無言で促した。ちひろが心配そうな顔でちらりとこちらを見たので、私は大丈夫と手を上げ、部屋を出た。

 「ったく、驚かせないでよ。マジ、びびった」
ジムの隣りのカフェでビールを飲みながら、ちひろがぼやく。
「ごめん・・・」
「でもいいな、橋谷さんに介護されちゃってさ」
「ちひろが橋谷さんを呼びに行ってくれたんだってね。ありがとう」
「そうよ。感謝してちょーだい!」
ちひろは既にほとんど中味のなくなったビールグラスを、ぐいと私に差し出した。
「わかってる。今日は奢らせていただきます。お陰であんまりレッスン中断させないで済んだって、橋谷さん感謝してたよ」
「マジ? 嬉しい! もう一杯飲んでいい?」
「どうぞ」と私が答える間もなく、ちひろは奥のカウンターに向かって「もう一杯、同じのくださーい!」と叫んでいた。

 ジムの医務室で、私は初めて橋谷さんの素顔に触れた気がした。
 私が医師の診察を受け、異常のないことを確認すると、橋谷さんは怖い顔でこう言った。
「まったく、驚かせないで下さい。上級のレッスンがまだ無理なことは、あなた自身わかっていたことじゃないんですか?」
彼の顔が蒼白く見えた。私よりずっと病人みたいな顔色だった。
「すみません。そう思って途中でリタイアしようとした時に、気を失ってしまったみたいなんです」
「限界まで頑張ることなんて、何の意味もない!」
彼のあまりの怒りように、私がどうしてよいか分からず黙っていたら、さすがに医師が「まあ、とにかく何ともなかったんだし」と、取りなしてくれた。しかし彼は、その医師の言葉にも気を収めるどころか、ますます語気を荒げた。
「何かあってからじゃ、遅いんですよ!」
彼は本当に怒っているらしかった。私を心配してくれているのではない、怒っているのだ、それも別の何かの理由によって。
「ご迷惑をかけてしまい、本当にすみません。これから気をつけます」
小さくなって謝るより他に方法がなく、私はいたたまれない気持ちで医務室を出たのだった。

 「橋谷さん、どうしてあんなに怒ってたんだろう」
私のつぶやきをちひろは聞き逃さなかった。
「何? そんなに怒られたの?」
「うん」
「気に過ぎじゃないの?」
「ううん、あれは私に怒ってるというより、何かに怯えて怒ってる感じに見えた」
「何それ?」
「わかんないけど」
 私たちは2軒目のバーにいた。店の名は「Ren」。ちひろの縄張り。「おいしいオムソバ食べさせるから」と連れてきたのだ。繁華街から少し外れた路地にある、隠れ家みたいな小さなバー。カウンターにスツールが5個、奥にソファに囲まれた小さなテーブルが二つ。ほの暗い照明が、壁にかかった煤けた絵をぼんやり浮かび上がらせている。熊が冬眠に入るための暖かなほら穴のよう。こんな店の常連にどうやったらなれるのか、私には皆目見当もつかないけれど、確かにちひろはここの「顔」らしかった。
 ちひろは何かを考えているのか、しばらくカシスオレンジのグラスの縁を指でなぞっていたが、ふいに思いついたように
「オムソバは隠れメニューなんだよ。ね?」とカウンターの中に入ったママに声をかけた。
「そうねぇ。もっとも頼むのはちーちゃんとハルキ君だけね」とママは卵をボウルに割り入れて菜箸でかき混ぜながら、ハスキーな声で応えた。
「そうなの? おいしいんだから、もっと宣伝すればいいのに」
「うちは飲み物が主役なの」
それまで一度も口をきかなかった無愛想なバーテンダーが、グラスを磨きながら憎まれ口をたたいた。
 話をはぐらかされたようで、私はどう会話を続けたらいいか分からず、黙ってカンパリを飲んだ。


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(2) 久々に恋、かも・・・ [ゴールデンブログアワード]

 昨日の、お昼休みのこと。
 同期の森君に「最近いいことあった?」と、突然聞かれた。咄嗟には何も思い浮かばず「ううん・・・どうして?」と尋ねたら、「何か、ちょっと、生き生きしてるなと思って」と言われた。「ありがとう。なんでだろうね」なんて答えつつ、自分でも何でだろうなぁと考えていて、夕方やっと気づいた。
 「そっか。恋をしてるせいだ」って。
 森君、鋭い。きっと奴も恋をしているに違いない。
 彼は今残っている同期5人の中で、唯一の独身仲間なのだ。家庭を持つ人は気楽に飲みに誘えないので、ついつい森君を交えた何人かでいつも飲みに行っていたのだけど、そういえば、ここ2、3ヶ月はスポーツクラブに通いつめて、飲み会ご無沙汰だったかも。
 また飲みに行って、彼の話も聞いてあげなくちゃ。
 帰りがけ、部長に声をかけられた。「たまには飲みにいこうよ。最近、冷たいなぁ」だって。冷たいなんて、人聞きの悪い。「今日はちょっと・・・また誘ってください」なんて、思いがけず余裕の笑みまで浮かんできた。そうよ、私にだって帰宅前に寄るべき場所がある。それがスポーツジムだとは、口が裂けても言えないけれど。

 そんな風に自分の恋が、自分の知らないうちに、自分を生き生きさせてくれていることに気づかされ、今日はいつも以上に彼に会うのを楽しみにジムへ向かった。
 入り口のドアが開いた途端、フロントの彼の姿が目に飛び込んできた。
 彼だけが、周りの景色からクローズアップされていく。
 ああ、今日もカッコいいな。
 帰りがけに彼に声を掛けていくおばちゃん達の多いこと。彼は絵に描いたようなさわやかな笑顔で挨拶を返している。彼にとっては、きっと私もそんなおばちゃんの一人でしかないんだろうな。
 ・・・なんて、少々寂しく思いながら彼の前に立つと、思わず笑顔が自然にこぼれてしまう。やっぱり、好きだなぁ。
 「こんばんは。今日も来ちゃった。最近、運動がくせになってきて・・・」
 会員証を差し出しながら、何故か言い訳めいた挨拶をしてしまった。彼はそんな私のいい訳をどう受け止めているのか、
 「こんばんは。運動が癖になるのは身体にいいことだよ。頑張って。」
と、さらりと受け流し、ロッカーの鍵を渡してくれた。
 ほらね。私なんて、大勢いる会員の一人に過ぎないんだよ。
 何故か軽く打ちのめされて、それ以上の会話を続けることができず、すごすごとロッカールームに向かう。階段のところで振り返ったら、私の次にやって来た女の子と、親しそうにおしゃべりしていた。
 トレーニングウエアに着替えながら、自分の意気地のなさを嘆く。「もっと気軽に会話出来るようにならなくちゃ、これ以上の進展はありえないじゃん。しっかりしろ! 若いねーちゃんに負けんな!」
 しかし、スウェットって、これほど年齢のでる服もないと思う。どんなに若作りしてみても、やっぱり本物の若さにはかなわない。
 ロッカールームを出て、次のエアロビクラスまでにウォーミングアップしておこうと、ストッレチ用のマットレスに座ったら、隣りにさっきの女の子がやって来た。どう見ても20代半ば。
 嫌だなぁ、この子の隣りで鏡に映るの。早くストレッチ終わらせようっと。と、いつもより少々短かめに投げやりなストレッチをしていると、ふいに背後から声がした。
 「もっとゆっくり伸ばして」
 聞き慣れた声に驚いて振り返ると、彼がいた。
「わ、わたしですか?」
思いがけない出来事に、声がうわずってしまう。彼は頷いて、
「ストレッチは丁寧にやった方がいい。もっと肘を伸ばして」
と、私の右手を掴んで、ぐいっと伸ばした。急に動悸が激しくなる。こ、こら、落ち着け心臓! 中学生じゃあるまいし。
「橋谷さん、きびしいぃ」
隣りの女の子が割り込んできた。
「え、厳しい?」
彼が、私に尋ねる。私はぎこちない笑顔をつくり、慌てて首を横に振る。
「ほら。いつも松沢さん丁寧にストレッチやってるのに、今日は慌ててたから、ちょっと声をかけたんですよ」
彼が、私の名前を覚えていてくれたなんて! もうそれだけで舞い上がってしまった。
「私の名前、ご存知なんですね?」
「橋谷さん、名前覚えるの得意だしぃ。ね?」
また女の子が割って入る。「ね?」じゃねーよ。なんなんだよ、お前。
「そうかな? 仕事柄そうかもね。時間がない時はストッレチの種類を減らして、一つ一つの筋肉はしっかり伸ばした方がいいですよ」
「あ、あの、ありがとうございました・・・」
「がんばってくださいね」
 彼はいつもの笑顔を残して、フロアの奥へとゆっくり歩いて行った。
女の子が「橋谷さん、つれな〜い! あたしへのアドバイスは〜?」と声をかけると、彼は振り向かず、手だけを振った。
「橋谷さん、カッコいいですよね。独身なんだって」
ストレッチを再開しながら、女の子が話しかけてきた。
「へぇ〜」
気のない返事をしながら、私は考える。この子、彼とどれくらい親しいんだろう。少なくとも私よりは情報を持っているらしいし(というよりも、私は彼のことを何も知らない)、しばらく話すのも悪くないかも・・・。
「あなた、次のエアロビクラスに出る?」
「勿論。そのために来てるんだもん」
「じゃあ、私と一緒ね」
「マジ? 滝本さんのクラス、厳しいよね〜。だから大好きなんだけど」
「え?」
私は慌ててスケジュール表を見た。変わってる! 今週からクラスが変更されて、中級ではなく上級クラスになっていた。どうしよう・・・。
「最初は死ぬかと思ったけど、最近だんだん快感に変わってきたんだぁ」
20代の子が死ぬクラス・・・どう考えても、私には無理っぽい。でも彼のことを知るチャンスなのに・・・。
「そうなんだ・・・実は今日初めてなの」
「え? マジ? 死ぬよ、ホント。大丈夫?」
「う・・・ん、体力だけは自信あるから・・・」
「ならいいけど。無理なら途中休んだ方がいいよ。マジ、きついから」
第一印象は悪かったけど、意外といい子かもしれない、この子。
「あの、名前聞いてなかったね。私は松沢みやこっていいます」
「あたしは山下ちひろ。ちひろでいいよ。松沢さん、歳いくつ?」
「え? ・・・」
前言撤回。初対面で歳聞くなんてデリカシー無さ過ぎ! でもそれが「若い」ってことなのかも。
「あたしは来年30歳なの。早生まれだからさ、もしかして、同い年くらいかなと思って」
思いがけない告白に、驚いたと同時に何故かホッとして、そしてちょっと素直になれた。
「まさか。私はもっと上よ。でもちひろさん、来年30歳には全然見えないね」
これは本当に心からの言葉。彼女は背が低いせいもあるけれど、溌剌として全身バネみたいな、弾ける感じが本当に若々しいのだ。髪がサラサラで長いせいもある。
「ちひろでいいってば。歳が上なら尚更だよ」
子どもっぽい人なつっこさも、若くみせていたのかもしれない。この子、口は悪いけど、だんだん憎めなくなってきたなぁ。ライバルになるかも知れないのに。
 「あ、終わったみたい」
ちひろの声に顔を上げると、レッスンを終えた初級のクラスの人たちがスタジオからどやどやと出てきた。みんな高揚した満ち足りた表情。身体を動かすって、誰にとっても単純に「楽しい」のだ。

 部屋から熱気が引くのを待ってへ入ろうと思っていたのだが、ちひろに手を引っ張られ、むっとした空気の残るスタジオへ足を踏み入れた。確かに、あそこにしばらく佇んでいたら、私は上級クラスへ入ることを再び躊躇っただろうな・・・と思った。
 そして1時間後、予想通り、私はやっぱり死ぬほど後悔することになったのだった・・・。


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