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(10) 誕生日プレゼント [ゴールデンブログアワード]

 覚悟は決めたものの、私の心臓はぎゅっと鋭い爪が食い込んだかのように痛かった。森君がブルーの包み紙を解いてゆくのを、息を詰めて見守った。
 濃紺の箱が現れた。
 森君は手を止め、篠原課長の顔をちらっと見上げた。篠原課長は瞬きもせず箱を見つめていた。
 森君が箱の蓋をそっと開いた。
 乳白色のシルクサテンが敷き詰められた箱の中に入っていたのは、ターコイズのブレスレットだった。
 私のじゃない!
 咄嗟にそう感じた。私の誕生石じゃない。私の誕生石はトパーズだ。彼からの贈り物は、必ずダイヤかトパーズだった。ターコイズは確か・・・
 「12月の誕生石ね。」
はっと顔を上げると、篠原課長がさっきと変わらない表情で箱を見つめていた。
「誰へのプレゼントだったんだろう・・・」私は思わずつぶやいてしまった。自分への誕生日プレゼントでなかったことにショックを受けつつ、この場を切り抜けられたことに安堵している自分もいる。なんだか複雑な気分だった。
 「ごめん! 申し訳なかった!」突然、森君が私の方に向き直って頭を下げた。
「い、いいよ、別に。」その勢いに私はたじろいだ。
「いや、本当にごめん!」
「いいってば。」
「ううん、良くない。本当にごめんなさい。」篠原課長も頭を下げた。
「ちょっと止めてくださいよ、二人とも。ほら、また奥の人たち見てますよ。」
 客が私の言葉を聞いて、ぎこちない所作で帰り支度を始めた。

 「俺さ、正直言うと、かなりショックだったんだよ。」森君はグラスに残っていたジンライムを飲み干し、カウンターの向こう端にいたバーテンダーに「すいません、同じのを」とグラスを掲げてみせた。
 私たちは居酒屋の前で篠原課長と別れ、まだ早いからと森君に誘われて、そこから数件先の店に入ったのだった。
 「もういいわよ。止めようよ、部長の話は。」そう言いながら話題を探したけれど、こんな時に限って、上手く見つからない。
「いや、聞いて欲しいんだ。パスワードが松沢の誕生日だった時さ、俺マジで、目の前が真っ暗になったっていうか・・・。でも良かった。」
「何が?」
「あれがお前あてのプレゼントじゃなくてさ。」
「そんなわけないじゃない。あんたってホント失礼ね。」
「ごめん・・・。」
 いや、謝らなくちゃいけないのは私の方なんだよ。だから、そんなに謝らないで。
 心の中で勝手なことを言いながら、私は黙ってカンパリを飲んだ。
「そういえば、部長もカンパリ飲んでたな。この間。」
「ふぅん。」
 部長がよく飲んでいたから好きになったお酒だった。今日のカンパリは追悼の一杯。
「お前もよく飲むよな、カンパリ。」
「そんなことないよ。次は何を飲もうかな?」メニューに手を伸ばすと、森君がさっと手渡してくれた。
「サンキュ。」そう、もうカンパリは飲まない。だって・・・あのプレゼント、一体誰のなの?
「決めた。カシスオレンジください。」
 森君にジンライムを差し出したバーテンダーは、黙ってにっこり頷くと、空っぽのグラスを下げた。
 カシスオレンジ。夕べちひろが飲んでいた、甘いカクテル。私、森君に媚びてるの? まさかね?
 「結局、あれは誰の物になるはずだったんだろうな。」森君がつぶやいた。「12月が誕生日のやつって誰かいたっけ?」
「さぁ・・・うちの会社とは限らないしね。」
「ま、そりゃそうだけどさ・・・。とにかくパスワードさえ分かれば、部長がどこの誰と付き合おうが、俺たちには関係のないことだけどな。」
 俺たちには関係ない・・・本当に、そうならどれだけ気楽だろう。私は知りたくて仕方がなかった。あのブレスレットの本当の持ち主を。
 カシスオレンジがきたとき、森君の携帯が鳴った。森君は発信者を見て、慌ててフロアの隅にある電話ボックスに駆け込んだ。しばらくすると、ボックスの中の森君が、驚いた顔をして私の方を見た。私は意味が分からず、首をかしげてみせた。その自分の仕草が、やけに媚を売っているような気がして、少し自分が嫌になった。
 「松沢! わかったよ!」弾んだ声で森君が戻ってきた。
「何が?」
「パスワードだよ。今の電話、小川さんからだったんだ。」
「小川さん?」
 電話番と称して独り残った小川さんは、部長のパソコンのパスワードを調べていたのだ。
「どんな番号だったの?」できるだけさりげなく聞いたつもりだった。
「何で? 気になる?」森君が鋭く聞き返してきた。私は言葉に詰まった。さっき、土足で人の領域に云々なんて偉そうなこと言ったくせに、今の私は森君からみれば、好奇心丸出しの野次馬に見えたろう。
「聞かなかった。聞かない方がいいような気がして。」
「ごめん、そうだよね。私もそう思う。」
森君は賢明だ。彼のそんな優しさに、私はなんども救われている。そして、今日も・・・。
 「よし、乾杯しよう!」森君は興奮していた。睡眠不足に精神的な疲れが重なって、却って神経が高ぶっているようだった。乾杯して一気に飲み干すと、またお替わりを頼んだ。
「ちょっと、飲み過ぎじゃない?」私は急に心配になった。
「平気だよこれくらい。まだ9時前だぜ。」
「でもここ新宿じゃないよ。」
「え? ああ、そうだっけ?」
「ほらぁ。問題解決したんだから帰ろうよ。」
「なんだよ、松沢。お前、冷たい女だなぁ。」
 ドキリとした。「冷たいなぁ。」部長の声が聞こえた気がした。
「分かったわよ。じゃあ後、1時間ね。」
「よーし! 飲もうぜ!」
 
 2時間後。まだ私たちはその店にいた。一度新宿まで戻って別の私鉄に乗り換える予定の私は、そろそろ電車に乗らなければならない。でも、なんだか帰るのが億劫になっていた。どうせまた明日は、ここよりさらに郊外へ行かなければならないのだ。
 「おい、そろそろやばいんじゃない?」森君が時計を気にし出した。
「帰りたくないな・・・。」
「え、でもまずいよ・・・。」何故か森君はひどく狼狽している。
「大丈夫よ。ほら、明日の準備もできてるし。」私は後ろを振り返り、店に入った時に預けた二つの荷物を指さした。
 それは私と森君の、それぞれの喪服が入ったバッグだった。


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